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額に収めてみたら空の部分が狭すぎて、シャチの一部が枠に隠れてしまいましたので、パソコンの画像処理で上空を拡大しました。また、城の左側の空の部分が暗くなりすぎていたのも修正しました。右の空もさらに修正する必要があると、アップしてから気づきました。 |
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奈良宝生寺の開祖のお坊さんが弟子と共同で彫った仏像だそうです。
同じ名称の仏像・仏画はほかの寺院にもありますが、江戸時代に制作された仏像が一般に形式化して美術的価値が薄い中で、ここの制多迦童子像は非常に人間らしさと躍動感に満ちた魅力を持っているとされています。
私がそれを絵筆で表現できているでしょうか。 |
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「天平6年(734)に建立された興福寺西金堂の釈迦如来像の眷属(けんぞく=従者、家来)として、将軍万福により制作された彫像。阿修羅、畢婆迦羅(ひばから)、鳩槃茶(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、迦楼羅(かるら)、沙羯羅(さから)、緊那羅(きんなら)の七躯は完全な形で残っているが、五部浄像は胸から下を失っている。これらの像は天平彫刻が頂点に達しようとする頃の遺品であり、このことは阿修羅のはちきれそうな頬や鮮やかに空間をよぎる八本の手の構成などにも十分に認められる」と、ある美術書に書かれていますが、その重要な特徴である腕をほとんど無視するような私の描き方はまずかったと反省しきりです。 |
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